民間武術探検隊-町田

 

第三章  お宝

 夜も更け、そろそろお開きという事になった。普段は会社に泊まる○○師 兄も週末という事で自宅へ帰っていった。  ぼくは家が遠いので、張師兄の部屋へ泊めて貰う事になっていた。  う〜む、なんか、緊張するぜ(^-^;。  張師兄が「どうぞ、どうぞ」とお茶を入れてくれる。そして、さっきぼく が渡した通背スペシャル資料を取り出すと、熱心に見始めた。  その中の茄子老師から頂いた「拳械録、通背門編」を読んでいた張師兄は 「これが一番良い。」と言い、おもむろに立ち上がると、押し入れを開け、 小さなノートのような物を取り出した。全部で三冊だ。  そしてぼくの横に腰を下ろすと、それを開いて見せてくれた。そこには手 書きでびっしりと中国語が書き込まれていた。ぼくにはそれが何であるか直 ぐにわかった。「拳譜」である。  拳譜とは、その門派の歴史や伝承、さらには招法の名称や秘訣などが記さ れた伝書の事である。そして、それを持つという事は、「一門の正統継承者」 であるという証でもある。  拳譜中に記される歴史や伝承などは、普通の文体で記述されるが、絶招な どの技術的な事などは拳訣歌訣などを用いて記述される事が多い。  拳訣とは「冷、硬、急・・・」のようにいくつかの文字からなり、全部で九文 字なら九字訣、七文字なら七字訣などと言う。歌訣は読んで字のごとく歌で ある。これらは師から正しい説明(口訣と言う)を受けなければ、ほとんど 意味をなさず、万が一、誰かに盗み見られたとしても一門の秘伝がわからな いようになっているのである。  張師兄の見せてくれた拳譜には、祁氏通背小架式初代、祁太昌からの系譜 が事細かに記され(祁太昌には10人の弟子がいて、何々省の誰それ、何々 省の誰それ・・・・という位詳細に)、通背五行掌論、五行相生相剋論、通背一 百零八招法、さらには套路と套路に付随する歌訣等も事細かに記され、もう クラクラする位の内容だ。さらに所々には、「19XX年XX月 修剣痴著」なん て書いてあったりして、「うぉぉぉぉぉ〜」である。(実際に吼えてはいな い。念のため(^_^;)流石、文武に秀でた修剣痴祖師爺一代の精華、通背拳譜 である。  ちょっと話しはそれるが、実は最近、事情通の某氏から「于少亭は修剣痴 の拝師弟子ではないという噂がある」と常松老師が聞いたら激怒しそうな未 確認情報を聞かされて、「むむっ」と思っていた。しかし、この修剣痴祖師 爺の拳譜が伝えられているという事からも、真実は明かである。  聞く所によると、張師兄も拝師した時に、この拳譜の原本を借りて、筆写 したそうである。原本は赤い表紙の大きな本で毛筆で書かれているという。 そして、それは現在、張師兄の師である陳功年師伯のご子息が預かっている という事だ。 「息子さんも通背拳をしているのですか?」と尋ねると「いや、武術はして いない」との返事。それならなぜ・・・・?。  陳功年師伯は若くして、癌で亡くなっている。陳師伯には多くの(と言っ ても拝師弟子は10名前後らしいが)弟子がいたが、亡くなる前に掌門人を 決めていなかったようで、「それなら息子さんに預けるのが良いだろう」と 残された弟子達の話し合いで決まったそうだ。  修剣痴祖師爺から于少亭師爺、于少亭師爺から陳功年師伯、そして陳功年 師伯から張師兄に伝えられてきたその拳譜を見ると通背門の歴史を感じずに はいられない。いつかはぼくも拝師して・・・との思いが胸にこみ上げる。  拳械録と張師兄の拳譜を見ながら、いろいろ詳しく説明してくれる師兄。 時には部屋の中であるにもかかわらず、実技を見せて説明してくれる。毎度 の事ながらもっと言葉がわかればなぁ〜と思う。全ての知識とあらゆる手段 を講じて理解に努めるぼくであった。  そんなこんなで気付けば、結構な時間、張師兄は清く正しい生粋の民間武 術家なので早寝早起きだ。続きは「また明日」という事で寝る事にした。  練習して身体は疲れていたが、電気を消して横になっても、なかなか寝つ けなかった。いろいろあったので気持ちが高ぶっていたのだろうか(^_^;早朝 から練習(民間武術家の基本だ)だから早く寝なくちゃ、と思いつつも、寝 ついたのはずいぶん経ってからのようだった。  しかし、5時には目が覚め、「おっしゃ〜」と外を見ると、なんとどしゃ 降りの雨。外での練習は出来なかった(民間武術家と言えど、雨が降ったら 外で練習はしない)。  朝御飯を食べ、しばらく話しをする。あまり長居しても悪いかなと思い、 「そろそろ帰ります。」と言うと「何言うんだ。まだいいじゃないか。昼食 べてからでいいだろ。」と師兄。お言葉に甘えて、またも部屋の中で、師兄 といろいろ武術談義等しつつ、気付けば、蒲田の練習時間。やばい。「師兄、 もう、本当いろいろお世話になって、ありがとうございました。」とお礼を 言って引き上げようとすると、「これ持ってくか?」と、拳譜を貸してくれ ようとするが、そんな大事な物はとてもじゃないけど借りられないので、断 った。(本当は借りたかったけど(^_^;)  すっかり張師兄が好きになったぼくは、その翌週にも泊まりに行ってしま ったりしたのであった。  手ぶらじゃ悪いから、何か買ってから行こうと、中華街に寄る。食べ物が 良いだろうと思ったが、何買えばいいのかよくわからん(^_^; 。何だか訳わ かんない調味料や食材がたくさんあるが、無難な所で乾燥キクラゲ、ピータ ン、花茶(蝶々の絵の缶のヤツ。コレお勧め)、白酒、天津甘栗等を買った。  町田支部の練習は19時からなので、それに合わせて張師兄宅へ向かう。 練習は毎日朝夕2回、自由参加である。通背迷にはこたえられない環境であ る。それなのに今回来たのは、たった一人だけであった。なんてもったいな いんだだだだっ。  しかも、その一人、女連れで来やがって、「良い身分じゃのぅ」と思って いたら、その子も通背に興味があるんだそうな(^_^)。良い事だ。小姐通背使 いは、滅多にいないのだ。  で、練習開始。何からするのかな〜と思っていると、「判官筆を習うんで すよー。」とその男。 「なにぃ〜、判官筆だぁ。(心の声)」 「判官筆って珍しいでしょう。張先生に習いたいって言ったら『良いよ』と 言われたので今日から習うんです(^-^)。」 「マジかよ。(心の声)」  我々にとっての「判官筆」は、「特別なものという」意識がある。それは 常松老師が判官筆を学んだ状況とその時に于少亭師爺から言われた事に由来 する。  中国で、常松老師が判官筆を学んだのは、通背拳の全てを学び終えた頃で あったと言う。学ぶにあたって、于少亭師爺から 「この判官筆の技術は、とても素晴らしいものであるが、最近ではあまり見 かける事もなく、なかなかに貴重なものとなった。ぜひ、学んでおくように。」 と言われたそうである。  そんな貴重な判官筆であるが、常松老師の気まぐれ(^-^;から、ぼくらもそ の技術の一端を学ぶ機会に恵まれた。しかし、本来、それはそんなに簡単に 学べるシロモノではないのである。  だが、まぁ、良い機会だからついでに習っちゃお(^-^)、とぼくも並ぶ。張 師兄を前に3人で並び、練習開始。全部で六路位まであるらしいが、今日は 一路まで。  常松老師のと少し違うけど、割合、似てるから順番はすんなり憶えられた。 常松老師のものより、八卦の風格が濃い気がした。もう一人の彼は苦労して いるようだ。まあ、初心者だから無理もない。  そのうち、「君は一人で自習ね。あなたは通背拳をしましょう。」と張師 兄が言うので、「おっしゃー、基本から見てもらうぜ。」と思い、張師兄の 後ろについた。「じゃあ、一緒に。」と言うと、[才龍]胸抱月から始まった。 「ぉおお、なんだなんだ、套路か?」と思っていると、なんと「通背拳(套 路の)」を教えてくれるというのだ。  常松老師の所では、普段、単式の練習が主で、套路は合宿等以外では滅多 に行わない。だから、套路とかいうと「ぉおっ、そんなの習っちゃっていい の?」って気になってしまう。しかも『通背拳』。  けど、ラッキーと思って習ってしまった(^_^;。もう、がんがん教えてくれ て、ありがたいけど、とても憶えきれないので「ここまでにして下さいっ。」 とお願いした。が、結局、翌日の朝練で最後までいってしまった。全六路で 五十式。もう、頭、パンクしそう(^_^;。帰りには手書きで、通背拳の套路の 拳譜を書いてくれる。もう、涙がちょちょぎれる程嬉しい。多謝、師兄。  その後も時間を作っては、師兄の所へお邪魔し、練習を見て貰う。同じ通 背拳ではあるが、常松老師と張師兄では、体格、性格などの違いからか、微 妙に風格も異なるし、教えかたも違うので、同じ技を習っても新たな発見が あったりして、とても参考になる。一度に複数の老師に教えを受けるのは、 とても失礼な事とされているが、今回は常松老師公認なので、そのへんもO Kだ。張師兄が帰国する日まで、時間の許す限りいろいろ教えて貰いたいと 思っている。  その気になって探してみれば、案外身近に素晴らしい民間武術家はいるか もしれない、とふと思う今日この頃。 終わり 語句解説 ○拳械録、通背門編  中国で出版された中国武術拳械録の事。国家の力を総動員して民間伝統武術 の拳譜を集め、その中の71門派の拳譜を抜粋した貴重な書。通背門からは、 修剣痴祖師爺の関門弟子林道生の手によって、通背拳譜が提出されている。 ○通背拳譜  中国で出版された「拳械録」や「通背拳術(鄭剣峰著)」「通背拳(遼寧省)」 などに一部が公開されている。 ○祖師爺  老師の老師は師爺、その老師を祖師爺という。 ○[才龍]胸抱月  祁氏通背小架式の套路の最初に出てくる招法。たいがい、これで始まる。


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